カナダ人アーティスト、アグネス・マーティン（Agnes Martin）の作品集。本書は、稀代の画家である作者が手がけた作品を包括的に収録した回顧録である。洗練された視覚的な詩のような表現で高く評価されてきた最も象徴的な作品群に加え、自身の手で復元された私的な手紙やメモなどを作品の間に小さく挟み込む形で収録し、この一冊に親密さを添えている。

作者のキャリアは70年にも及ぶ。カナダに生まれ、1930年代にアメリカへ移住後、美術の教師として働いたのち、30才の時にアーティストになる事を決めた。1957年にアーティストでありギャラリストのベティ・パーソンズ（Betty Parsons）に見出されて以降、ニューヨークを拠点として制作を行い、アド・ラインハート（Ad Reinhardt）やエルズワース・ケリー（Ellsworth Kelly）、ソル・ルウィット（Sol LeWitt）、ドナルド・ジャッド（Donald Judd）らとも関わりを持った。1950年代後半に「ベティ・パーソンズ・ギャラリー（Betty Parsons Gallery）」で個展を開催して高く評価されたが、アド・ラインハートが亡くなった1967年からはニューメキシコ州のタオスに移り住んだ。筆を置く時期があったものの、2004年に亡くなるまでその地で制作を続けていた。その後、「テート・モダン（Tate Modern）」で開催された大規模展覧会が2015年から2017年にかけて世界中を巡回し、大きな賛辞を受けて以来、作者の存在はより脚光を浴びた。ミニマリズムの画家たちに多大なる影響を与えてきたが、自身の作品は抽象表現主義に近いと考え、絵画は「無垢、美、幸福、愛の瞑想」であるととらえていた。

「ペース・ギャラリー（PACE GALLERY）」創設者であり、作者の展覧会においてマネージャーを務め、そして親しい友人でもあるアーネ・グリムシャー（Arne Glimcher）が手がけた本書は、2012年に初版が刊行され、2021年に待望の復刊（本書は2021年版を2025年に増刷）を果たした。絵画作品とドローイング作品130点を収録し、あわせて未発表の著作やレクチャーノートも紹介されている。アーネ・グリムシャーが著す序文、作者のアトリエを訪れた際の個人的な思い出、そしてキャリアを通して交わされた手紙に触れることで、作者の人生と作品にまつわる多くの洞察が浮かび上がってくることだろう。