数学者や物理学者は人間の知覚では捉えられないとされる高次元を、数式を始めとした様々な方法で扱っています。その一つに高い次元をスライスして、一つ低い次元で扱うことで計算を容易にしてから再び全ての断面を集めて元の高次元を復元する「ファイブレーション」という手法があります。

今回の作品はこの手法からインスピレーションを得て、地図に使用される等高線と実際の地形の関係に、もう一つの方向を加える操作をすることで高次元の風景画を描き出すことを考えました。

タイトルにある「Noctis Labyrinthus（夜の迷宮）」は火星に実際にある地形の名前です。この地形は人類の火星移住計画の有力な候補として考えられているマリネリス渓谷の一角に位置し、複雑な地形が迷路のように入り組んでいることから名付けられています。

現在私たちはテクノロジーの進化により、いかにも火星に降り立ったかのようなビジュアルを容易に目にすることが出来ますが、それはあくまでも火星に送り込んだ探査機が電波によって送り返してきた「データ」を「復元」することによって可視化されたものです。つまり、私たちが火星だと思って目にする図像は果たして本当に火星の風景と言えるのでしょうか？

人類はまだ誰一人として火星を直に見た者はいません。この事実は現代のデータ社会の危うさや可能性をアナロジー的に反映しているとも言えます。

理論物理学が予言する高次元空間が実際に観測される時、人類はそこへ探査機を送り込むのかもしれません。

果たしてそこにはどのような風景が広がっているのでしょうか。

今回の作品ではNASA が打ち上げた「マーズ・リコネッサンス・オービター」という衛星が捉えた画像データを元に作成された等高線を用いています。等高線地図とはx,yの<平面>に、z 軸方向の<高さ>が書き込まれたものです。z軸方向へ垂直に移動させることで三次元の地形を復元することができますが、今回の作品ではこのz軸に「回転方向」というもう一つの運動を付け加え、軌跡が描く風景を多層のレイヤー構造を持った画面に描き込むことで高次元の表現を行いました。

人類が最初に四次元空間を知覚する時、そこは上下・左右が存在せず、私たちが頼りとしてきた視覚も機能しない世界かもしれません。それはまさに夜の迷宮を彷徨うかのような体験なのかもしれません。