ナムジュン・パイク
Nam June Paik
ナムジュン・パイクは1932年韓国・ソウル生まれ。世界で初めてテレビ・モニターを用いたインスタレーション作品を発表し、ヴィデオ・アートの父と呼ばれる。東京大学文学部美学・美術史学科を卒業し、ミュンヘン大学に進学。美術を学ぶいっぽう、ジョン・ケージに影響を受けて音楽家を志し、57年にフライブルグ音楽院に編入する。ケルン大学卒業を経て、ケルンの西ドイツ放送局WDRの電子音楽スタジオに就職。ダルムシュタット夏季現代音楽講習会でケージと知り合う。その翌年には音楽家として、ギャラリー22(デュッセルドルフ)で《ジョン・ケージに捧ぐ》を初上演する。
61年、ジョージ・マチューナスとの出会いをきっかけにフルクサスに参加。同会の中心的メンバーとして、オノ・ヨーコやヨーゼフ・ボイスなどとともに活動する。63年、パルナス画廊(ヴッパータール、当時の西ドイツに位置)での個展「音楽の展覧会 - エレクトロニック・テレビジョン」で、13台のテレビ・モニターを積み上げたインスタレーションを発表。続いて65年にヴィデオ・レコーダーを使い、先駆的な映像作品を制作する。84年にはジョージ・オーウェルの小説『1984』に寄せて、衛星中継による番組『グッドモーニング・ミスター・オーウェル』を放送。パフォーマンスをアメリカ、フランス、西ドイツ、韓国に同時配信し、世界の人々がリアルタイムで共有できるメディアの可能性を示した。
カラーテレビの研究を行うため63年に来日し、エンジニア・アーティストの阿部修也と協働してアートロボット《K-456》(1963)や《パイク=アベ・ヴィデオ・シンセサイザー》(1971)などを制作。アートロボットを人型に組み立て、たんに映像データが回流する機械の集合体ではなく、個性を持つ存在となるようつくり上げた。代表作に、コラージュ的技法を用いた映像作品《グローバル・グルーヴ》(1973)、最新テクノロジーと東洋思想を融合させた《テレビガーデン》(1974)、近未来の電脳都市を予見した《エレクトロニック・スーパーハイウェイ》(1974)など。また、80年代に坂本龍一らとパフォーマンスを展開する。88年、ソウル・オリンピックのためにテレビタワー《多々益善》を制作。92年に「ナムジュン・パイク回顧展」(国立現代美術館、ソウル)が開催。93年の第45回ヴェネチア・ビエンナーレで金獅子賞を、98年に京都賞を思想・芸術部門で受賞。2006年没。