松井智惠 展
Picture-リチャペル・アテル
“That Which Utters, That Which Suppresses”
 

会期|2025年6月21日(土)-7月13日(日)
会場|MEM
時間|13:00 – 19:00
定休|月曜日 (月曜日が祝休日の場合は開廊し、翌平日休廊)

https://bijutsutecho.com/exhibitions/16160

*****************

「Picture-リチャペル・アテル」展へのコメント

<サブタイトル>
“That Which Utters, That Which Suppresses”

今回の展覧会のタイトルに含まれる「リチャペル・アテル」というのは、昨年制作した一片の絵の題です。

この作品は、モノタイプの手法を使い、描かれた反対側にある世界を写しとった絵です。鏡合わせになる不思議な手法で生まれた絵は、私たちの側でもなく、全くの想像の中でもない、現実が反転して入れ子になって現れる架空の世界にあります。しかし、元は私の手の延長にあり、日常から生まれたものです。この絵の場所は、一体どこにあるのでしょう。こちらの地図にはないが存在する世界について、私は思いを馳せるようになりました。

「リチャペル・アテル」は私が作った造語による人の名です。彼/彼女がどこに住んでいるのかはわかりません。私の制作からこぼれ落ちた作品が「このように呼んでくれ」と発した音のつながりからできています。意味がない言葉。その絵もまた大きな意味はありませんでした。私の手と目と道具から紙にこぼれ落ちた残滓です。

今回の展覧会はその「リチャペル・アテル」が住む世界を舞台にしています。
作家のみの創造によるものではなく、偶然生まれた「リチャペル・アテルという絵=Picture」が存在する入れ子状になった美術の世界への旅です。旅のきっかけとして、一つの短い物語を書きました。「リチャペル・アテル」の人物像が大まかにわかるようにと。

モノタイプで現れた反対側の世界にいるアテル彼/彼女は、声を発することがない状態にいます。こちらから見えない反転した世界にいるものは、声を発することがありません。それに「絵=Picture」は、元々声を出すことがありません。私は絵を描くときに、何かに声を押さえ込まれているような感覚をだんだん覚えるようになっていました。

コロナの時はマスクをして息苦しく声を潜めていた生活が続いていました。
それとは別の、発語を封じ込める、うめき声以前の音を飲み込んでしまったような感覚が、私の日常にはあります。今回 ”That Which Utters, That Which Suppresses”という副題をつけたのは、アテルの身の上話とも通じる、もの言えぬ感覚のもとで描かれたものを展示するからです。

起こり続ける厄難の数々。その中で、なんとか生きながらえていることの不思議さと、危うさ。美術作品の普遍性は、その中でかえって際立つものの、どこかこの世界の日常を覆う薄くて重いベールに覆われて抑制されているように感じるのです。

こちら側の地図にも、語ることのなかった場所が世界には数多くあります。長い歴史の物語には、アテルが住む場所のような、間(はざま)の世界が存在しています。その存在は発するものを持ちながらも、封じ込められた硬い塊を飲み込んで黙っています。間は「発するものと抑制するもの」という、二項で分けることのできない状態の世界を想像してみます。

展覧会の作品の中には、今まで私が封じていた思いが入っていますが、絵はそれらの説明ではありません。私自身が未だ発語に至らないものを、押し出すような行為として描いたものです。アテルが引き出しの中にしまっていた絵のように。

「Picture=絵」は、リチャペル・アテルの世界に飾られているのでしょうか、それとも私たちの住む世界に飾られているのでしょうか。

絵はいつどこにでも描くことができます。
しかし、絵はどこに存在しているのでしょうか。
そして誰が見ているのでしょうか。

松井智惠

2025年5月25日筆

MORE

松井智惠

Utter–17

2025

¥ 95,700 (税込)

松井智惠 展
Picture-リチャペル・アテル
“That Which Utters, That Which Suppresses”
 

会期|2025年6月21日(土)-7月13日(日)
会場|MEM
時間|13:00 – 19:00
定休|月曜日 (月曜日が祝休日の場合は開廊し、翌平日休廊)

https://bijutsutecho.com/exhibitions/16160

*****************

「Picture-リチャペル・アテル」展へのコメント

<サブタイトル>
“That Which Utters, That Which Suppresses”

今回の展覧会のタイトルに含まれる「リチャペル・アテル」というのは、昨年制作した一片の絵の題です。

この作品は、モノタイプの手法を使い、描かれた反対側にある世界を写しとった絵です。鏡合わせになる不思議な手法で生まれた絵は、私たちの側でもなく、全くの想像の中でもない、現実が反転して入れ子になって現れる架空の世界にあります。しかし、元は私の手の延長にあり、日常から生まれたものです。この絵の場所は、一体どこにあるのでしょう。こちらの地図にはないが存在する世界について、私は思いを馳せるようになりました。

「リチャペル・アテル」は私が作った造語による人の名です。彼/彼女がどこに住んでいるのかはわかりません。私の制作からこぼれ落ちた作品が「このように呼んでくれ」と発した音のつながりからできています。意味がない言葉。その絵もまた大きな意味はありませんでした。私の手と目と道具から紙にこぼれ落ちた残滓です。

今回の展覧会はその「リチャペル・アテル」が住む世界を舞台にしています。
作家のみの創造によるものではなく、偶然生まれた「リチャペル・アテルという絵=Picture」が存在する入れ子状になった美術の世界への旅です。旅のきっかけとして、一つの短い物語を書きました。「リチャペル・アテル」の人物像が大まかにわかるようにと。

モノタイプで現れた反対側の世界にいるアテル彼/彼女は、声を発することがない状態にいます。こちらから見えない反転した世界にいるものは、声を発することがありません。それに「絵=Picture」は、元々声を出すことがありません。私は絵を描くときに、何かに声を押さえ込まれているような感覚をだんだん覚えるようになっていました。

コロナの時はマスクをして息苦しく声を潜めていた生活が続いていました。
それとは別の、発語を封じ込める、うめき声以前の音を飲み込んでしまったような感覚が、私の日常にはあります。今回 ”That Which Utters, That Which Suppresses”という副題をつけたのは、アテルの身の上話とも通じる、もの言えぬ感覚のもとで描かれたものを展示するからです。

起こり続ける厄難の数々。その中で、なんとか生きながらえていることの不思議さと、危うさ。美術作品の普遍性は、その中でかえって際立つものの、どこかこの世界の日常を覆う薄くて重いベールに覆われて抑制されているように感じるのです。

こちら側の地図にも、語ることのなかった場所が世界には数多くあります。長い歴史の物語には、アテルが住む場所のような、間(はざま)の世界が存在しています。その存在は発するものを持ちながらも、封じ込められた硬い塊を飲み込んで黙っています。間は「発するものと抑制するもの」という、二項で分けることのできない状態の世界を想像してみます。

展覧会の作品の中には、今まで私が封じていた思いが入っていますが、絵はそれらの説明ではありません。私自身が未だ発語に至らないものを、押し出すような行為として描いたものです。アテルが引き出しの中にしまっていた絵のように。

「Picture=絵」は、リチャペル・アテルの世界に飾られているのでしょうか、それとも私たちの住む世界に飾られているのでしょうか。

絵はいつどこにでも描くことができます。
しかし、絵はどこに存在しているのでしょうか。
そして誰が見ているのでしょうか。

松井智惠

2025年5月25日筆

MORE

取り扱い MEM
サイズ 27.0 x 22.8 x cm
素材 紙にパステル
商品コード 1100044032
配送までの期間 個展終了後に、約2〜3週間で発送。
備考 個展会場でも併売作品のため、在庫が無い場合は、ご注文をキャンセルとさせていただくことがございます。何卒ご了承ください。
カテゴリー
購入条件