本作品は、現在開催中の江頭誠個展「四角い花園」にて現物をご覧いただけます。

江頭 誠 個展「四角い花園」
2023.06.16 Fri. - 07.15 Sat.

会場:hpgrp GALLERY TOKYO
〒107-0062 東京都港区南青山5-7-17 小原流会館B1F
open 12:00-19:00
closeed on Sunday, Monday and Tuesday

 


Artist Statement

8年前は和家具の修理の仕事をしながら、日本とアメリカの関係性について考えることが多かった。

日本の風景には、無理やり和風のものと洋風の物が融合(ミックス)されてる物が多くあり、私も友達に 「毛布ダサっ」 って言われるまでは意識もしなかった。

「毛布ダサっ」 から日本の風景が変わって見えてきて、日本の変な風景を 「いじる」 感覚で制作を進めていくと 「いじってる」 私は何処に居るんだろう?と考えるようになった。

日本に住んでいて、日本の文化のなかで育ち、両親ともに日本人。学校も公立小学校。

「普通」 に思っていた事が 「毛布ダサっ」 の感覚で見るようになると、変な経験を経て今私は「花柄の毛布」を扱っている。

コンセプトも私の経験を通した 「日本」 。もっといえば 「日本」 を通した「私の記憶」に変わっていく 。

「毛布の霊柩車」 を8年前に作ろうと思って、イメージしたのは 「眠る」 事だった。

霊柩車の亡き骸を安置する 「寝台」 は 「母のお腹の中」 のようだ。

母の話をする事は8年前は恥ずかしくてできなかった。

男らしさ、大人らしさ、作家らしさ、父親らしさと 「立場」 を演じるように 「こうあるべき」 という無意識の抑圧が 「恥ずかしい」 という感覚の正体だった。 

「社会」 の中で演じる事を要求される 「立場」 に無意識に憧れ、 「なるべき」 事というなんとなくの共通の 「ノリ」 のような 「呪い」 が大学で評価を得たり、賞をもらうために書く長い文章も、「なんとなくいいっぽい」 「みんなやってる」 ぐらいの感覚で、自分なりに歴史を調べて箔付けしてみても、 「自分が作品に居ないな」 と思うようになる。

自己開示することをためらい、考える事ができなかった。

私が学生をしていた時に漠然と憧れていた 「社会」 とは違う 「社会」 の居心地の悪さに気づいたのは 「毛布ダサっ」 という友達からの 「軽いいじり」 に対して、なぜか笑って済ます事ができない罪悪感のような、母親からもらった毛布が笑われた事への居心地の悪さだった。

社会の事に関心がなかった。

今も知らない事はいっぱいあるし、私は専門的な知識はもっていない。

ミニ四駆にシールを貼るような感覚で薔薇模様を楽しみながら、作品を作る事が誰かにとって気が楽になる事を知った。

知ることで考え方や感じ方は変わる。

それは天気や気温が変わることと同じように。

「毛布の霊柩車」 を出展するのは、この展示で最後かもしれない。

だから 「今自分が楽しくなることを探しつづけたい」 と思う。

 

最後まで読んでくれたあなたは優しい。

 

 

2023.6. 江頭 誠

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江頭誠

神宮寺宮型八棟造

2015 - 2023

¥ ASK

本作品は、現在開催中の江頭誠個展「四角い花園」にて現物をご覧いただけます。

江頭 誠 個展「四角い花園」
2023.06.16 Fri. - 07.15 Sat.

会場:hpgrp GALLERY TOKYO
〒107-0062 東京都港区南青山5-7-17 小原流会館B1F
open 12:00-19:00
closeed on Sunday, Monday and Tuesday

 


Artist Statement

8年前は和家具の修理の仕事をしながら、日本とアメリカの関係性について考えることが多かった。

日本の風景には、無理やり和風のものと洋風の物が融合(ミックス)されてる物が多くあり、私も友達に 「毛布ダサっ」 って言われるまでは意識もしなかった。

「毛布ダサっ」 から日本の風景が変わって見えてきて、日本の変な風景を 「いじる」 感覚で制作を進めていくと 「いじってる」 私は何処に居るんだろう?と考えるようになった。

日本に住んでいて、日本の文化のなかで育ち、両親ともに日本人。学校も公立小学校。

「普通」 に思っていた事が 「毛布ダサっ」 の感覚で見るようになると、変な経験を経て今私は「花柄の毛布」を扱っている。

コンセプトも私の経験を通した 「日本」 。もっといえば 「日本」 を通した「私の記憶」に変わっていく 。

「毛布の霊柩車」 を8年前に作ろうと思って、イメージしたのは 「眠る」 事だった。

霊柩車の亡き骸を安置する 「寝台」 は 「母のお腹の中」 のようだ。

母の話をする事は8年前は恥ずかしくてできなかった。

男らしさ、大人らしさ、作家らしさ、父親らしさと 「立場」 を演じるように 「こうあるべき」 という無意識の抑圧が 「恥ずかしい」 という感覚の正体だった。 

「社会」 の中で演じる事を要求される 「立場」 に無意識に憧れ、 「なるべき」 事というなんとなくの共通の 「ノリ」 のような 「呪い」 が大学で評価を得たり、賞をもらうために書く長い文章も、「なんとなくいいっぽい」 「みんなやってる」 ぐらいの感覚で、自分なりに歴史を調べて箔付けしてみても、 「自分が作品に居ないな」 と思うようになる。

自己開示することをためらい、考える事ができなかった。

私が学生をしていた時に漠然と憧れていた 「社会」 とは違う 「社会」 の居心地の悪さに気づいたのは 「毛布ダサっ」 という友達からの 「軽いいじり」 に対して、なぜか笑って済ます事ができない罪悪感のような、母親からもらった毛布が笑われた事への居心地の悪さだった。

社会の事に関心がなかった。

今も知らない事はいっぱいあるし、私は専門的な知識はもっていない。

ミニ四駆にシールを貼るような感覚で薔薇模様を楽しみながら、作品を作る事が誰かにとって気が楽になる事を知った。

知ることで考え方や感じ方は変わる。

それは天気や気温が変わることと同じように。

「毛布の霊柩車」 を出展するのは、この展示で最後かもしれない。

だから 「今自分が楽しくなることを探しつづけたい」 と思う。

 

最後まで読んでくれたあなたは優しい。

 

 

2023.6. 江頭 誠

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取り扱い Otherwise Gallery
サイズ 270.0 x 220.0 x 520.0 cm
素材 発泡スチロール、毛布、LEDライト、紙、レース、綿、木、単管パイプ
商品コード 1100025282
配送までの期間 事前お打ち合わせ含め1ヶ月程度
備考 こちらの作品は他所でも販売を行っております関係で、ご注文いただいた時点にて在庫切れとなっている可能性がございます。作品在庫確認後、在庫なしの場合はご注文をキャンセルさせていただくことがございますのでご了承くださいませ。また、作品代金に搬入・設営費用は含まれておりません。
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