左の作品です。

Yu Akashi, Plants on Wheel #2

Yu Akashi, Plants on Wheel #2

Yu Akashi, Plants on Wheel #2

左の作品です。

左の作品です。

Yu Akashi, Plants on Wheel #2

Yu Akashi, Plants on Wheel #2
Yu Akashi, Plants on Wheel #2
Yu Akashi, Plants on Wheel #2
左の作品です。
左の作品です。

Plants on Wheel
車輪と植物、あるいは法輪と千手観音

 仏教における色彩の象徴や、宇宙を表す砂絵、諸行無常の現れとしての液体をモチーフにしました。植物を思わせる流動的なフォルムは、千手観音像が元は植物をモチーフとしていた、という説を想起させます。本作品は千手観音の苗ともいえるでしょう。
 さらに作品では、この苗はスケートボードの土台の上に生えています。ウィール(車輪)には仏教の「法輪」のイメージを重ねています。子供の頃にみたボードの裏側には骸骨、ゾンビ、サタン、ピンナップガール、天使、花、札束、ナイフなどが描かれていました。スケートボーダーはエロスとタナトスを隠して滑走する人間そのものだったのです。
 生は死の一部に、死は生の一部に織り込むことで、仏教では二項対立を打ち消し心の解放を目指します。まるで自我を持たない植物が、生きることそのものを目指しているような、そんな世界観をこの作品は示しています。

■サーティーラブ
明石雄、大洲大作、岡本光博、木村了子、久保沙絵子
3月8日~4月5日

 私は阪神淡路大震災の際、静岡県に住む小学5年生でした。テレビで震災の様子を目の当たりにし、地面が裂け、高速道路の橋が崩れ、街が炎に包まれている光景に衝撃を受けました。まだ下敷きになっている人々がいると考えると、心が痛みました。この時に初めて「天災」(自然災害の別名)という言葉を耳にしました。
 震災から10年後、京都の大学に進学し、そこで出会った友人の中には震災で家を失い、引っ越しを余儀なくされた人もいましたが、当時の私は京都や関西の風景の中に震災の痕跡を見出すことはできませんでした。その後、東京の大学院に進学し、修了した頃、茨城県の自宅で東日本大震災が発生しました。夜勤を終えて帰宅し、ベッドで横になっていたところ、突然の揺れにより床に叩き落とされ、さらに強まる揺れの中で「ここで死ぬ運命なのかもしれない」と思いました。古いアトリエ兼住居はさらに穴や隙間が増え、冬の雪が降る中で限界を感じ、翌年には静岡県の実家に戻ることにしました。
 その頃、近所の図書館で偶然手に取った高村薫の「太陽を曳く馬」という小説の表紙にマーク・ロスコの絵が使われた仏教を題材にした作品を読んだことがきっかけで、仏教に興味を持ち独学で学び始めました。震災直後のこの時期、さまざまな分野の人々が「天災」に対する捉え方を模索していました。私が学んだ仏教の根本的な理解によれば、天災もまた縁起の法則の一部であり、自然は流動的で無慈悲なシステムでしかないとされていました。自然には愛情が存在しないことを知りました。
 したがって、太陽の光に感謝の念を抱くことがあっても、それは決して私のために降り注いでいるわけではなく、また果実を味わい大地の恵みに感謝することがあっても、大地は私のために存在しているわけではないということになるのです。私はこの考えに納得しましたが、自然への感謝の感情は人間の想像によるものであって、素晴らしい体験をした際に生じる非常にポジティブな反応であると考えました。そのような感情はそれはそれで大切にしていきたいと思いました。
 日本列島は自然災害が多いと言われます。そのような環境で暮らす1人の人間として、少しでもできることがあるのかもしれないとこれからも考えていきたいと思います。

明石雄

MORE

明石雄

Plants on Wheel #2

2025

¥ 165,000 (税込)

Plants on Wheel
車輪と植物、あるいは法輪と千手観音

 仏教における色彩の象徴や、宇宙を表す砂絵、諸行無常の現れとしての液体をモチーフにしました。植物を思わせる流動的なフォルムは、千手観音像が元は植物をモチーフとしていた、という説を想起させます。本作品は千手観音の苗ともいえるでしょう。
 さらに作品では、この苗はスケートボードの土台の上に生えています。ウィール(車輪)には仏教の「法輪」のイメージを重ねています。子供の頃にみたボードの裏側には骸骨、ゾンビ、サタン、ピンナップガール、天使、花、札束、ナイフなどが描かれていました。スケートボーダーはエロスとタナトスを隠して滑走する人間そのものだったのです。
 生は死の一部に、死は生の一部に織り込むことで、仏教では二項対立を打ち消し心の解放を目指します。まるで自我を持たない植物が、生きることそのものを目指しているような、そんな世界観をこの作品は示しています。

■サーティーラブ
明石雄、大洲大作、岡本光博、木村了子、久保沙絵子
3月8日~4月5日

 私は阪神淡路大震災の際、静岡県に住む小学5年生でした。テレビで震災の様子を目の当たりにし、地面が裂け、高速道路の橋が崩れ、街が炎に包まれている光景に衝撃を受けました。まだ下敷きになっている人々がいると考えると、心が痛みました。この時に初めて「天災」(自然災害の別名)という言葉を耳にしました。
 震災から10年後、京都の大学に進学し、そこで出会った友人の中には震災で家を失い、引っ越しを余儀なくされた人もいましたが、当時の私は京都や関西の風景の中に震災の痕跡を見出すことはできませんでした。その後、東京の大学院に進学し、修了した頃、茨城県の自宅で東日本大震災が発生しました。夜勤を終えて帰宅し、ベッドで横になっていたところ、突然の揺れにより床に叩き落とされ、さらに強まる揺れの中で「ここで死ぬ運命なのかもしれない」と思いました。古いアトリエ兼住居はさらに穴や隙間が増え、冬の雪が降る中で限界を感じ、翌年には静岡県の実家に戻ることにしました。
 その頃、近所の図書館で偶然手に取った高村薫の「太陽を曳く馬」という小説の表紙にマーク・ロスコの絵が使われた仏教を題材にした作品を読んだことがきっかけで、仏教に興味を持ち独学で学び始めました。震災直後のこの時期、さまざまな分野の人々が「天災」に対する捉え方を模索していました。私が学んだ仏教の根本的な理解によれば、天災もまた縁起の法則の一部であり、自然は流動的で無慈悲なシステムでしかないとされていました。自然には愛情が存在しないことを知りました。
 したがって、太陽の光に感謝の念を抱くことがあっても、それは決して私のために降り注いでいるわけではなく、また果実を味わい大地の恵みに感謝することがあっても、大地は私のために存在しているわけではないということになるのです。私はこの考えに納得しましたが、自然への感謝の感情は人間の想像によるものであって、素晴らしい体験をした際に生じる非常にポジティブな反応であると考えました。そのような感情はそれはそれで大切にしていきたいと思いました。
 日本列島は自然災害が多いと言われます。そのような環境で暮らす1人の人間として、少しでもできることがあるのかもしれないとこれからも考えていきたいと思います。

明石雄

MORE

取り扱い eitoeiko
サイズ 75.0 x 40.0 x 40.0 cm
素材 ミクストメディア(砂、絵具、樹脂、ウレタンボンド、スケートボード)
商品コード 1100040310
配送までの期間 展示終了後約2週間
カテゴリー
購入条件
EnglishFrançais한국어中文(简体)
Powered by Localize
日本語