大作《Throne》が生まれるまで
――まずは《Throne》シリーズがつくられた経緯について教えてください。
2011年に韓国の天安市に彫刻《Manifold》のプランをクライアントに提案したのですが、そのときのもう一つの案が《Throne》でした。それから三ヶ月後に、東京都現代美術館で個展の開催があり、そこで第二案であった《Throne》を発表することにしました。瓦礫が積み上がったような造形を対称にするスタディを繰り返していると、その一部が玉座のように見えてきて、なぜかそこに子供が座っているという、大友克洋さんの『AKIRA』のようなビジョンが浮かびました。
――その後、2017年の銀座 蔦屋書店の展示では黄金の玉座として《Throne(g/p_boy)》が出現しました。2011年の《Throne》からどのような変化がありましたか。
5年ほど前、2020年の東京オリンピック・パランピックのための文化プログラム検討委員会というものがあり、アイデアの提案を求められていました。そこで「祭り」の造形について調べ、何か新しい山車や神輿のようなものを作れたらと考えました。江戸末期や明治初期の、極度に造形の発達した山車や神輿の、白黒の写真資料などをリサーチしてみるとなかなかおもしろいです。そういった少しクレイジーでフィジカルな「祭」のエネルギーを感じさせるものが、今の東京に現れたらおもしろいのでは?という発想でした。
その過程で2011年の《Throne》のことを思い出し、玉座を山車のようにトランスフォームさせる形状のイメージが頭に浮かび、早速3Dのモデリングソフトを使い試行錯誤が始まりました。この段階ではCGをつくっただけで、実物をつくる機会はしばらくなかったのですが、銀座蔦屋書店がオープンする前に、日本の伝統工芸や世界の現代美術も含めた大型のアート書店を作るから、店内に何か作品をつくって欲しいとご依頼をいただき、3Dと金箔の技術を融合させるやり方で《Throne(g/p_boy)》を実体化することになりました。
――山車や神輿をベースにしつつ、どのような発想であの形状になったのでしょう?
最初から浮遊するイメージでした。山車には車輪があり、引き回すイメージがありますが、そうではなく、浮遊しているイメージだったんです。飛翔するので羽のようなものをつけたり、有機的な形状がせめぎ合っていたり、コンセプトやストーリーを自分なりに想像しながら、しかし既存の宗教などにある記号や象徴は一切排除するというルールで造形していきました。
ーー金箔を採用したのも、山車や神輿で使用されていた装飾技術だったからですか?
そうです。金箔の材質や加工技術を調べていくと、非常に考えられた加工方法だと、改めて感心しました。また、作品を展示する銀座 蔦屋書店は、アートと工芸を扱う書店ということだったので、《Throne》も昔の技術と今の技術を融合してつくるのがおもしろいのではと考えて、3Dのモデリングによる造形に金箔を施すことにしました。
ーー《Throne》の金色からは、落ち着いた趣きが感じられます。
京都の仏具の職人さんたちにお願いして、落ち着いた深みのある金を目指しましたが。鏡面仕上げにすると反射が強すぎると感じたので、和紙のような落ち着いたテクスチャで、全体を均質に仕上げたいと思いました。
ーー金色に挑戦したのはこれが初めてでしたか?
金箔ではありませんが、以前コム デ ギャルソンのニューヨークの店舗に《ゴールドツリー》という金色の作品をつくりました。そのときは川久保玲さんとイメージのすり合わせを行い、店の中がすべて金色になるのに合わせて、金箔とは真逆のチープなゴールドにすることになりました。川久保さんらしいディレクションだと思いました。その際に金の塗装やメッキ加工、箔加工についてリサーチしたり、試作したりしていました。
――そしてルーヴル美術館の巨大な作品につながっていくわけですね。
銀座 蔦屋書店のために制作していた当初は、まさかルーヴルのピラミッドに展示することになるとは思いませんでした(笑)。あれは「ジャポニスム2018」の特別展示として、コンペティションで選ばれたものです。ルーヴルの館長から僕の下に届いたプログラム採択通知の手紙には、金箔はルーヴルにとって重要な意味があるので、特にこだわってほしいと書かれていました。ルーブル美術館は金箔の研究所を持っていて、金箔の起源となる古代エジプトのものから近代のものまで、研究を続けているそうです。金箔の技術が歴史の中でどうやって世界中に広まり、変遷したのかということに対して、深い造詣を持っているわけです。そうした偶然が重なり、現代のルーヴル・ピラミッドという場所に《Throne》が辿り着いたのです。
アーティスト・名和晃平の歩んできた道
ーー《Throne》のように、名和さんの作品は多くの人が携わるプロジェクトワークによって制作されることが多いですよね。多くの人とともに作品をつくり上げることへの考えはありますか。
誰と組み、どうやって制作を進めるのかは、つくりたいと思っている作品に応じて選択するべきだと思っています。一人でも、大勢でも、自分の創作活動の本質は変わりません。手を動かすのか、頭を動かすのか、目を動かすのか、感覚を働かせながら、時にはそれらを全て動員して取り組むことが大切だと考えています。
ーー名和さんが2009年に設立した、アートのプラットフォーム「SANDWICH」は、今年で創設から10年となります。この10年を振り返ってみていかがでしょうか?
疾走し続けた10年でした。振り返ってみても順番がわからなくなるくらい様々なプロジェクトがあって、混沌とした印象もあります。今後どうするかというのは、いままさに考えているところです。
ーー例えばどんなビジョンがあるのでしょうか?
ここ5年は建築のプロジェクトにも注力してきたので、アートと建築のダイナミックな融合をこれからもやっていきたいと思います。僕たちしかできないことは何かを考え、選択しながら進んでいければと思っています。
ーー「SANDWICH」は様々なジャンルの創作者が集まる場ですが、他分野とのコラボレーションは、名和さんの創作に影響を与えていますか?
建築やダンスのプロジェクトなど、確かに創作の刺激にはなっているものはありますね。なかなか言葉で表現しづらいのですが、すべてが混ざり合うことで、同時に何かが湧き起こっているという感じでしょうか。クリエーションに順番や序列があるわけではありません。閉じられた殻の中で作業をして完結しているのではなく、常にすべてが流入し、混ざり合っている場ですね。油断していると目が回ります。
ーーそのとき、その場にしかない状況の中で創作をしているのですね。
いま、この時代に対して自分が反応し、何かを遺そうとする意志によって作品が生まれていると仮定して過去の作品を省みると、やはりその時にしかつくれなかっただろうと思う作品がたくさんありますね。例えば100年後に、なぜその時にその作品を生み出したのか、作品から直接伝わることを大切にしたいし、それがアーティストの役割だと考えています。だから、ルーヴル美術館の《Throne》のプロジェクトも、2018年という時流の中で実現したことに大きな意味を感じています。