ウォルター・デ・マリア
Walter De Maria
ウォルター・デ・マリアは1935年アメリカ・カリフォルニア州オルバニー生まれ。カリフォルニア大学バークレー校史学科を卒業後、59年に美術学科修士課程を修了。60年にニューヨークに移住し、彫刻家として活動を開始する。初期の作品では在学中より関心を持っていたダダイズムなど前衛運動に影響を受けて、ハプニングやパフォーマンスにも参加。65年にポーラ・クーパーギャラリー(現在のポーラ・ジョンソンギャラリー)で初個展を開催。66年にはユダヤ美術館(ニューヨーク)で開催された展覧会「プライマリー・ストラクチャーズ」に出展し、新進彫刻家のひとりに数えられる。60年代半ばよりミュージカルの作曲や映画制作など芸術の様々な分野で活動。またニューヨークのロックバンド「ザ・プリミティヴス」(のちのヴェルヴェット・アンダーグラウンド)および「ザ・ドラッズ」のドラマーを務める。
68年にカルフォルニア州のモハーヴェ砂漠に1マイルの長さの平行線を描き続ける《マイル・ロング・ドローイング》を発表して以降、ランド・アートのプロジェクトを展開。77年、雷が落ちやすいニュー・メキシコの平原に400本の金属棒を立てて稲妻を呼び込み、移ろう自然の状況を体験しながら落雷を鑑賞者に観察させる半恒久的なプロジェクト《ライトニング・フィールド》を設置。デ・マリアの作品のなかでもっとも知られている、ランド・アートの代表的な作例である。その他の主な作品に、ビル室内の床に土が敷き詰められた、都市のなかで自然を体感する《ニューヨーク・アース・ルーム》(1977)、地中1キロメートルに直径5センチの真鍮を垂直に打ち込み、先端のみを地表に表出させた《ヴァーティカル・アース・キロメーター》(1977)、ビルの一室に2メートルの棒500本を横たえた《ブロークン・キロメーター》(1979)などがある。2013年没。
日本では香川県・直島のベネッセハウス ミュージアムにサイト・スペシフィック・ワーク《見えて/見えず 知って/知れず》(2000)が恒久設置されており、黒い花崗岩を主な素材とした2つの球体が海に面して並ぶ。同じ島にある地中美術館には、空間全体を作品と考えるデ・マリアの指示により、直径2.2メートルの球体《タイム/タイムレス/ノー・タイム》(2004)と27体の金箔を施した木彫を配置した展示室がある。天井から差し込む自然光のみで鑑賞する空間は、時間帯によって黒い球体と木彫、そして展示室全体の表情を様々に変化させる。